西崎三丁目西武富ハイツ 2017年07月31日 夏が始まりましたね!夏祭りに行ってまいりました! はいたいぐすーよ ちゅーうがなびら わんねー地域おこし協力隊ぬ まぁみぃやいびーん 沖縄生活1年目ですが、暑いです! おきなわっっ!! 朝はセミの声で起きます。外に出た瞬間うだる暑さ。 ですが、ふと目を遠くに向けると、真っ青な海 スーッと暑さが和らぐ。 「あぁ。沖縄に住んでるんだなぁ」と実感して、1人でニヤニヤしているまぁみぃです・・・ そうです!夏が来ましたね! 各地域で夏祭りがたくさん開かれています! 今年もできる限り向かいます! そこで早速行ってまいりました! 西崎三丁目西自治会で行われていた「納涼の夕べ」です 西崎三丁目西は公民館がなく、「願寿館」で行われていました。 区長の新垣さんは、「地域の交流のために行っています。なので地域人たちによるステージにしている。今回のイベントは見せるのではなく、地域の交流を深めるのに重きをおいている。そして、自治会の集会所がないので、あまり自由が利かないが役員・子供会・女性会等が協力してくれたおかげでできたんです。」と嬉しそうに話してくださいました。 おっしゃる通り、地域の子たちが楽しそうに発表する中、それを楽しそうに地域の方々が観覧されていました 続いて、武富ハイツでも夏祭りが行われていたので行ってまいりました こちらは野外で、盆踊りをたくさんやっていて浴衣を着ている方が多くみられました やはり、浴衣はいいですね。 夏の風物詩です ぞろぞろと次から次へとみなさんひっきりなしに、ワクワクした顔でやってきていました 盆踊りだけではなく、フラの発表もあったりととても賑やかなお祭りでした 見に来ている人たちもとってもいい笑顔で素敵でした まだまだ、夏は始まったばかり~ 今年はどんな夏かな? ちむどんどんしちゃうな~~~ コメント(0) Tweet
★日常★ 2017年07月19日 祝‼協力隊1周年☺♪ はいたいぐすーよ ちゅーうがなびら わんねー地域おこし協力隊ぬ まぁみぃやいびーん 本日、7月19日は私が糸満市の協力隊になって、まる1年になる記念すべき日であります 本当のことを言うと、とーっても不安でした。 26年間家族と暮らしていたのに大丈夫なのだろうか。 友達と離れて、新しい友達はできるのだろうか。 そもそも、よそから来た私を地域の方々は受け入れてくれるのだろうか・・・・。 でも、そんな心配はすぐになくなりました。 まみだから、「まぁみぃ」だね。って言ってくれる人や、「まぁみぃなら、マーミーポコ!!お前はポコだ!」と言われてから、一部の方々には「ポコ」や「ポコちゃん」と呼ばれたりとみなさん、すぐにみなさん受け入れてくださいました 1人で取材に行くとき最初は、知らない人ばかりで何を話したらいいかわからず、怖かったです。 だけども、どこの地域の方々もみなさんとっても良くしてくださり、今では取材を行くのが楽しくてしょうがないです。 この前の糸満ハーレーの取材でも、会場を歩くと「まぁみぃ!こっちでこれ食べてー!」、「まぁみぃジュース飲むかー?」など、各テントでみなさん声をかけてくださり、「あぁ、私もすこし地域になじめたんだなぁ」ととてもうれしく思いました。 よく、「まぃみぃのそうやって、仲良くなれるの才能だよね」と言われることがありますが、そんなことは全くありません。 糸満市の皆さんの心がとっても優しいんです。 だから、私は糸満市がとっても大好きなんです。 胸を張って言えます。 「わたくし、藤枝真美は糸満市の地域おこし協力隊になれてよかった~~~~!!!」 もちろん仕事で、自分のふがいなさなどで悔しくて泣いてしまう日もあります。 だけど、それ以上に私は笑っています。 これは皆さんから、頂いた笑顔です。 今度は、私が糸満市の皆さんを笑顔にする番です。 2年目からは、再度気を引き締めてまいります! みなさん、ゆたしくうにげーさびら 普段ブログには載せないオフショットでございます~ コメント(0) Tweet
★日常★ 2017年07月18日 約100万年前に漂着したクジラの化石!? はいたいぐすーよ ちゅーうがなびら わんねー地域おこし協力隊ぬ まぁみぃやいびーん 「まぁみぃ、糸満から見えるあの島には100万年前のクジラの化石があるんだよ!」と協力隊の生活が始まったある日教えてもらったことがあります。 実は、恐竜の化石とか大好きで東京にいたときは、博物館に見に行くほどのマニアだったんです その時から、「いつか行きたいなぁ」と思っていたのですが、この前観光協会に遊びに行ったら、「観光のための動画を作るために、サバニに乗って、岡波島に行くから一緒に行こう!」とお誘いいただきました そうです、その岡波島こそが100万年前のクジラの化石が眠る無人島なのです!!!!!!!!!!!!!! しかも、サバニで行くなんてさらに魅力的 二つ返事で「OK!!」いたしました 岡波島は、「うかはじま」や「くじら島」とも呼ばれます。 昔は大潮になると歩いて渡れたそうですが、今は船の水路が掘られたので途中すごく深くなっています。 ここだけの話、ワクワクが止まらず、前日はまったく眠れませんでした笑 お友達に、SJCAMを借りてノリノリなわたくし。まちテラスの方たちも一緒に行きました ちなみにこの、あごの下に手を置く、一見「アイーン」のような変なポーズは、まちテラスの所長のポーズです・・・ なんでも、流行らせたいそうで、無理やりこのポーズで撮らされました 怖かったです。 気を取り直して、みんなでえっちら、おっちら漕ぐこと30分ほど・・・・ やっと着きましたーー! 途中、はしゃぎすぎて話に夢中になり漕ぐことを忘れたら、後ろの乗組員の方に何度もエークを取り上げられました・・・・ 乗組員さん、ごめんなさい しかし、こんな素敵なショットが撮れました!! 太陽のまわりに丸い虹が・・・・・ この後、素敵なことが待っているに違いない!!!!!!!! 着いてからは、島の散策ができました ただ、これから遊びに行く方は、必ずマリンシューズでいらしてください! 足場はとにかく悪いので こんなところで転んだら、チーゴーゴー間違いなし!笑 着いてから私の頭は、クジラでいっぱい!!! 「くじらー、クジラー、クッジッラー♪♪」なんて変なメロディーを頭で口ずさんでいた時に、見つけましたーーーー!!! クジラです!!!!!途中、カニにも会いました。 でかいーーー!しかも、保存状態がかなりいいっ!! 下が石灰岩だから、こんなにも保存状態がいいそうです!! これは大切にしなければっ!! あ、でもこの写真わかりづらいですね・・・・ すいません ぜひ、ご自分の目で確認されにいらしてください! 後悔はされないと思います! 撮影も終わり、トータル3時間くらいでまぁみぃの冒険は終わりました! ドローンを飛ばしたり、VRで撮影したりしていたので出来上がりが楽しみです 最後にみなさんと一緒に!!! もぉー!とにかくでーじ楽しかったです あ、なんかこの写真、所長(真ん中の白の迷彩の男性)がかなり強そうに見えますね|д゚) サバニでパンプアップされたのでしょうか・・・笑 後日談ですが、かなり日焼けをして会うみなさんに「くっろ!」と言われて、傷ついているまぁみぃです みなさん、日焼け対策は万全に! コメント(0) Tweet
★日常★ 2017年07月11日 忘れるな、ひめゆりの詩を・・・ はいたいぐすーよ ちゅーうがなびら わんねー地域おこし協力隊ぬ まぁみぃやいびーん 平和の礎をウートートーして、ひめゆりの塔へ向かおうとしたら、先ほどの追悼式を行っていた広場で一般の人がお焼香ができるようになっていたので、また戻りお焼香をしてまいりました。 それから、ひめゆりの塔で行われている慰霊祭へ向かいました。 こちらもたくさんの参列者の方はいらっしゃいました。 -ひめゆり学徒隊- ひめゆり学徒隊は負傷兵の看護のために沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範女子部の15~19歳の女子学生220人で結成されました。 なぜ「ひめゆり」なのかというと、沖縄県立第一高等女学校の学校広報誌の名前「乙姫」と沖縄師範学校女子部の学校広報誌の名前「白百合」を併せて「姫百合」呼ばれたそうです。 ほかにも白梅学徒隊・なごらん学徒隊・瑞泉学徒隊・積徳学徒隊・悌梧学徒隊・宮古高女学徒隊・八重山高女学徒隊・八重農学徒隊と、全部で8つの学徒隊が存在したそうです。 ある女子は一晩に80人の手足の切断手術を手伝ったといいます。 「壕ごうの中は地獄でした。薬を節約するため麻酔なしで(手足を)切断し、『殺せ、殺せ』と悲鳴が聞こえました」、「泣き叫ぶ負傷兵を毎日見ているうちに、かわいそうとも思わなくなった。」と話します。 222名の生徒のうち、123名が死亡。そのうち107名は解散命令後亡くなったそうです。 ひめゆり学徒隊の皆さんの歌を聴きました。 とても、きれいな歌声でこんなにきれいな歌声を持つ人たちが、想像がつかないような戦場を潜り抜けたのかと思うと胸が締め付けられました。 そして、歌い終わった後に、「今でも、夢に出てくることがあります。そして出てくる友達はみんな当時の少女のままで、歳をとっていないんです。一緒に歳をとりたかった。」と話しました。 私はそれを聞いて涙が止まりませんでした。 もし私が同じ境遇にあったら?この平和な世の中が変わってしまったら?自由に遊ぶことも、仕事を選ぶこともできず、恋愛もできない。 ただ、死と隣り合わせで生きていて、そんな恐怖の世界なのに家族とも離れて、友達は次々に亡くなっていったら・・・・。 私は、耐えられるのだろうか。と考えていたら気が遠くなりました。 もしかしたら、私は耐えられないかもしれません。生き抜くことができるのでしょうか。 そんなことを思いつつ、慰霊祭が終わったので私は、続いて大度で「平和集会」が行われていたので、そちらに向かいました。 講師の方は伊藤博文さんという方で、この方のおじい様の伊藤半次様のお話を聞かせてくださいました。 伊藤半次様は、沖縄戦で戦死した陸軍兵士だそうです。 旧満州の戦地などから、提灯職人として学んだ日本画の特技をいかして、家族へ400通もの便りを送ったそうです。 その後、沖縄へ転戦しましたが、沖縄から届いた手紙は3通。 所属していた野戦重砲兵23連隊(通称 球3109隊)は、本土防衛のため、32軍の1隊として首里攻防戦を戦い沖縄戦でほぼ全滅しました。 手紙の内容は、家族に心配をかけないように明るい内容だったそうです。 また、「みんなに会いたい」などの言葉は、手紙に書くことは許されていなかったそうで「私は私に会いたい」など隠した言葉で伝えたそうです。 家族の皆さんはどれだけこの手紙に支えられたことでしょう。 父親としての温かい愛情をとっても感じました。 6月23日は戦争・平和について考えた1日でした。 今の時代を生きている私たちでは想像もつかないような戦況を生き抜いてたご先祖様から受け継いできた命のバトン。 このバトンは決して粗末にしてはいけないし、同じことは繰り返してはならない。 しかし、72年経った現在。戦争を経験した方が減ってしまっています。 語りべが少なくなっていくなか、どうやって次世代に恐ろしさを伝えていくかがこれからの問題なのではないのでしょうか。 最後に、今回のタイトルも、MONGOL800さんの「himeyuri」という歌の歌詞をお借りしました。 とても素晴らしい歌なので、ぜひ聴いてみてください。 コメント(0) Tweet
★日常★ 2017年07月04日 記憶に残せない深い傷を慰める術はないものか はいたいぐすーよ ちゅーうがなびら わんねー地域おこし協力隊ぬ まぁみぃやいびーん 6月23日慰霊の日に平和記念公園で行われる沖縄全戦没者追悼式に行ってまいりました。 今から、およそ70年前。 太平洋戦争末期の1945年3月26日から9月23日の6ヶ月間に渡って、現地住人を巻き込んだ大規模な地上戦がここ沖縄で行われました。 繰り広げられた沖縄戦の戦闘の激しさは「ありったけの地獄を一つにまとめた戦争」あるいは「鉄の暴風」と表現されています。 沖縄での両軍及び民間人を合わせた地上戦中の戦没者は約20万人とされ、そのうち日本側の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人だったそうです。 その遺族の方々が6月23日の慰霊の日には平和記念公園へ集まります。 追悼式では、安倍首相も参列されていて、正午の時報に合わせて全参列者が黙とうをしました。 その後、翁長沖縄県知事が平和宣言をし、宮古高校3年生の上原愛音さんが平和の詩の朗読で「誓い~私達のおばあに寄せて」と平和への思いを述べていました。 その後私は、戦没者24万1468人の名前が刻まれた「平和の礎」に手を合わせに向かいました。 平和の礎は「平和のこころ」を広く内外にのべ伝える為に、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻む為に太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して1995年6月23日に建設されたものです。 皆さん、礎の前でまるで目の前にその人がいるかのように、お話しなさっていらっしゃいました。 おじーは何を思うのでしょう。 きっとあんなことがなければ、礎に刻まれている方と、肩を並べお酒を酌み交わしていたのでしょう。 そんなことを考えるとぐっと胸がしめつけられました。 一人の男性にお話しを伺いました。 この方のおじさまは、沖縄戦は生き抜いたそうなのですがその後、「戦果」という米軍の物資を盗む行為をしたために亡くなったそうです。 戦争が終わっても、食べるものがなく生きていくために仕方がなく。 そしてこう続けました。 「こういう人たちがいるから、今の私がいる。」と。 この言葉を聞いて、いたたまれない気持ちでいっぱいになりました。 続いて、ひめゆりの塔に向かったのですが、記事が長くなりそうなので、一旦ここで失礼いたします。 最後に、今回のタイトルは、MONGOL800さんの「himeyuri」という歌の歌詞をお借りしました。 とても素晴らしい歌なので、ぜひ聴いてみてください。 コメント(0) Tweet
喜屋武 2017年07月03日 喜屋武ハーレーに行ってまいりました!!! はいたいぐすーよ ちゅーうがなびら わんねー地域おこし協力隊ぬ まぁみぃやいびーん UPするのが、遅れてしまいましたが6月4日、喜屋武漁港で喜屋武ハーリーが行われていたので行ってまいりました 当日は雨もぱらつくあいにくのお天気でしたが、たくさんのギャラリーがいらっしゃっていました むむ!?亀仙人・・・・??笑 喜屋武ハーレーは、中・北・南支部に分かれ競漕します 糸満ハーレーと一緒で御願ハーリー、勝負ハーリー、アガイハーリー、職域ハーレーがありました ですが、喜屋武ハーレーならではのものがありました!! 「二人乗りハーリー」です。 漕ぎ手が二人で行う競技です 二人とは思えない速さでした それらすべてで中支部が勝利し、完全勝利で6連覇を達成しました すごく強い中支部の皆さまでした コメント(0) Tweet